17世紀に台湾を統治したオランダ人が台江内海に面する場所に築いたプロヴィンティア城(普羅民遮城)。
現在は赤崁楼(Chihkan Tower)と呼ばれています。
オランダ、鄭氏台湾、清朝、日本統治時代、そして台湾と、時代と共にその姿も変遷してきた赤崁楼を訪問しました。
赤崁楼 Chihkan Tower
1624年、オランダ人がフォルモサ海峡沿いに築いた城が、ゼーランディア城(現:安平古堡)。
次にオランダ人が台江内海に築いた城がプロヴィンティア城(普羅民遮城)。
現在の赤崁楼(せきかんろう、チーカンロウ、Chihkan Tower)です。
プロヴィンティアは当初要塞化されていませんでした。
漢人の蜂起が発生した郭懐一事件(1653年)の発生を機に防御が固められ、オランダ人はプロヴィンティア城(普羅民遮城)を築きます。
当時は、オランダ人の髪の色から「紅毛城」とも呼ばれていました。
それから9年後、明の鄭成功がゼーランディア城を陥落させてオランダ軍を駆逐。
プロヴィンティア城が東都承天府と改められたのもつかの間、鄭成功は亡くなり台湾は清国の支配下に。
1862年に発生した台湾南部地震によりオランダ時代の洋風建築の城はすべて倒壊。
現在の建物は清朝時代に建てられた文昌閣と海神廟です。
日本統治時代には当時の日本人台南市長らの主導により補修が行われ、その時の資料も残っています。
鄭成功和議の像 Statue of the Compromise Between Koxinga and the Dutch
ゼーランディア城を包囲攻撃しオランダを降伏させた明の鄭成功(右から2番目)と降伏するオランダ人(左)を描いた鄭成功和議の像。
御贔屓牌
御贔屓牌。
清朝時代の1786年、台湾で起きた林爽文事件の収束を早期解決したことから乾隆帝が贈った石碑です。
「5本の爪を持つ龍を描けるのは皇帝のみ」だったということから、非常に貴重なものとされています。
プロヴィンシア城の正門 Entrance of Fort Provintia
オランダ人が築いたプロヴィンシア城の正門。
当時はこの正門から入場し、階段を通じて上部へアクセスしていました。
この正門が発見されたのは日本統治時代の1944年。
(後述する)修復作業の際に発見されたものです。
プロヴィンシア城遺跡 Remains of Fort Provintia
敷地の北東側の旧稜堡は1944年の修復作業の際に一部掘り起こされており、遺跡になっています。
赤崁楼主砦遺跡 Remains of Chihkan Tower
荒廃したゼーランディア城とは異なり、プロヴィンシア城の城壁基礎部分は綺麗に残っています。
赤いレンガ、もち米汁と砂糖水・牡蠣殻を混ぜたモルタルは、ゼーランディア城同様です。
清朝時代の19世紀に設置された12体の獅子は欄干の上に。
文昌閣 Wenchang Pavilion
清朝時代の1886年に建築された文昌閣。
羽鳥又男という名の日本人の胸像。
日本統治時代、台湾氏最後の市長だった人物であり、台南孔子廟と赤崁楼の修復に努めたという。
胸像の解説には
1942年4月、台南市長に就任するや全力をもつて、台南市にある古跡・文化財の保存に努めた。当時は第二次世界大戦末期で財政が窮乏しており、軍部の反対などもあつたが、台南市民の心を汲んで羽鳥しはあらゆる困難を克服し、歴史的建造物の台南孔子廟・赤崁楼を修復した。
驚くのは、修復を行った時期。
1943年3月1日〜1944年12月20日(昭和19年)。1944年は日本が連合国に降伏し敗戦する1945年(昭和20年)の前年であります。
ミッドウェー海戦が1942年6月、ガダルカナル島の戦いが1942年8月〜1943年2月。
どう考えても戦況が悪化しているこの時期においての行動。
解説にある「軍部の反対などもあつたが」「あらゆる困難を克服し」というわずか数文字だけでも、相当な覚悟とその裏の苦労があったことを感じます。
2階部分には「試験の神」という魁星爺が祀られています。
合格願いのお札には受験票がくくりつけられているものまでありました。合格祈願!
海神廟 Haishen Temple
文昌閣の隣に建つ海神廟は、日本を迎撃するため安平に二鯤鯓炮台(億載金城)を造った沈葆楨が、海神の庇護に感謝するために造ったもの。
中は資料館で、プロヴィンティア城〜赤崁楼の変遷を学べる興味深い展示があります。
オランダ人がいた頃の台南。
当時はこのエリアには台江という湾があり、プロヴィンティア城が海に面していたことがわかります。
プロヴィンティア城の復元模型。
正門や遺跡など、実際に鑑賞した場所を比較しながら眺めるのが面白い!
台江に面していた頃のプロヴィンティア城を描いた絵。
プロヴィンティア城の立面図。
オランダを撃破した鄭成功像。
オランダ統治時代(左)と鄭氏台湾時代(左)の比較。
赤崁楼修復工事の碑文と概要。
屋根の上に設置されていた鯉の装飾。
相当傷んでいたことが把握できます。
東側にくり抜かれた瓶型の門。
上部に描かれた月と芭蕉の葉は「長寿と子孫繁栄」を意味しているそう。
海神廟2階から西の方角を見おろして。
今見えるあのあたりはかつて海であった…。
赤崁楼のチケット料金・入場料
Adult | 50NT$ |
Discount(学生) | 25NT$ |
6才未満 | Free |
営業時間:8:30〜21:30
赤崁楼の場所・行き方・アクセス
赤崁楼は台南火車站の西にあり、台南駅から徒歩17分。
赤崁楼の出入り口前にあるバス停は全5路線(3、5、77、88、99)。
台南火車站から赤崁楼までバスで行く場合は「3、5、88、99」の中から一番早く来たバスに乗ればよいと思います。
バス運賃は一律18NT$。
赤崁楼から西の安平(安平古堡、安平樹屋)にバスで向かう場合はTaiwan Trip88番線(安平線)、Taiwan Trip99番線(台江線)が便利です。
おわりに
赤崁楼の解説は中国語と英語のみ。
現地のパンフレットには日本語版も用意されています。
大航海時代末期にオランダが台湾に来た経緯など資料については安平古堡の方が日本語があり充実しています。
まずは安平古堡を訪れ、その後に夜21:30まで開館している赤崁楼を訪れるのもおすすめです。