羽田空港の南西端に、ポツリと立つ真っ赤な鳥居。
羽田空港に向かう車やバスの車内から見たことがある!という方もいるかもしれません。
この大鳥居は、羽田大鳥居(Haneda Otorii)という愛称で、羽田空港の敷地の南西部にあります。
しかし、「なぜこの場所に鳥居だけがあるのか」という大きな疑問も。
今回、羽田空港に立ち寄る機会があったので、天空橋や羽田大鳥居を訪れ、その歴史背景を探ってみました。
天空橋駅
羽田大鳥居の最寄駅は、京浜急行空港線&東京モノレールの天空橋(てんくうばし)駅。羽田空港国際線ターミナルの1個手前の駅です。なんともロマンを感じる名前の駅ですが、元は「羽田駅」という名称で、羽田空港の最寄駅として機能していたようです。
1998年、羽田空港国内線ターミナルの駅が開業すると同時に、混乱を避けるために駅名が現在の「天空橋駅」に改称されました。
天空橋駅は京急・東京モノレール共に、地下駅になっています。
天空橋駅の地上に上がると、東隣の駅が羽田空港国際線ターミナルとは思えないほどに、のどかな雰囲気。
海老取川の河口では釣り人が釣りを楽しんでいたり、ゆったりとした時間が流れています。
羽田大鳥居 Haneda Otorii
羽田大鳥居(Haneda Otorii)は、羽田空港・東京国際空港がある島の南西端に位置しています。
天空橋駅からは歩いて約5分。
鳥居の正式名称は旧穴守稲荷神社大鳥居。
ちなみに、羽田大鳥居の最寄駅「天空橋駅」が地下駅となっているため、電車からは見ることができません。
引用元:羽田ボランティア推進の会 昭和17年蒲田区詳細図「空港のとなり町 羽田」の詳細図を基に作成
終戦時、このエリア(現在、羽田空港がある島)には、
- 羽田鈴木町
- 羽田穴守町
- 羽田江戸見町
の3つの町があり、1,200世帯3,000人が住んでいました。
羽田大鳥居は、旧穴守稲荷神社が「羽田穴守町」にあった昭和初期に建立されたものです。
昭和初期の地図と照らし合わせて照合してみると、当時の大鳥居は現国際線ターミナルの北西側付近、具体的にはB滑走路の南端付近にあったと思われます。
海老取川に架かる稲荷橋の東側には参道がまっすぐ伸びており、左右には料亭や温泉宿が多数並んでいました。
当時の羽田には海水浴場(海の家)や羽田競馬場があり、行楽地としても賑わっていたそうです。
しかし、昭和20年9月21日。
終戦後に進駐したGHQ(連合軍総司令部)と蒲田区区長を連名とする「住民は48時間以内に強制退去」の命令が下されます。
退去命令の48時間経過後、3つの町の民家はブルドーザーですべて壊され、旧穴守稲荷神社も現在の羽田5丁目に移設。
島の北部にあった東京飛行場は米軍が接収しハネダ アーミー エアベース(Haneda Army Airbase)という名称に変えられます。
以後、海老取川以東、つまり羽田空港のある島には民家が存在したことはありません。
しかし、この大鳥居だけは取り壊されず、羽田空港の島の西端に残されました。
米軍から飛行場が返還されたのち、昭和59年(1984年)の東京国際空港沖合展開事業によって大鳥居の移設が計画されます。
しかし、強制退去された元住民から「心のふるさと」でもある大鳥居を移さないでほしいという声が反映され、1999年に現在の南西端に移設されることに。
大鳥居の中央には「平和」の二文字。元住民の方々の想いが込められています。
敗戦により、強制退去となりましたが、心のふるさとである大鳥居だけは動くことなく、旧羽田の敷地に残った。
羽田大鳥居は、東京国際空港・羽田空港国内線の方角を向き、今日も凛とした姿で見守っています。
大鳥居のその姿は、羽田空港国際線ターミナル3Fにあるホテル「ザ ロイヤルパークホテル東京羽田」のレセプション前からも見ることができます。
羽田空港国際線でお時間に余裕がある方は、3Fの西側窓から大鳥居を眺めてみてください。
稲荷橋
海老取川に架かる稲荷橋(いなりばし)。
鮮やかな朱色で彩られた欄干と橋桁が印象的です。
しかし、現在は海老取川を東側に渡った先が羽田空港の敷地のため、橋の東側は行き止まりになっています。
橋を渡ることができても、この先に進めないところに、哀愁さえ感じます。
戦前はこの稲荷橋を通って羽田に渡り、春は潮干狩り、夏は海水浴などを楽しんでいたのでしょう。
天空橋
稲荷橋の一本南にかかる橋は、最寄駅「天空橋駅」の駅名の由来にもなった天空橋。
人の往来のみが可能な人道橋です。
橋の名称は「てんくうはし」と、にごりません。
天空橋は若干錆びたような印象を覚えます。
もしかすると、内部への腐食を防ぐコルテン鋼かもしれません。
竣工は1993年3月、比較的新しい橋です。
昔の地図と見比べてみると、このラインには京浜電気鉄道が通っていました。
東側の終着駅「穴守駅」まで行楽客を乗せて運んでいたのでしょう。
弁天橋
海老取川の最南端に架かる弁天橋。
旧住民の方が強制退去際も、この橋を通って海老取川の西側に渡ったのかもしれません。
弁天橋の東側には、羽田大鳥居の姿が見えますね。
おわりに
天空橋周辺では、東京国際空港を離発着する飛行機を眺めたり、望遠レンズがあれば、ダイナミックな飛行機の姿を撮影することもできます。
天空橋駅から羽田大鳥居までは徒歩5分。
羽田発のフライトまで時間に余裕がある場合は、ぜひ羽田大鳥居まで足を運んでみてください。
激動の時代に翻弄されながらも羽田の地に残りつづけた羽田大鳥居。
先の大戦がなければこのエリアに住み続けることができたであろう旧住民の方に思いを馳せながら、この地の歴史の一端に触れてみるのも良いかもしれません。