フィアヴァルトシュテッター湖のほとりにある中世の面影を残す町、ルツェルン(Luzern)。
かつてルツェルンの町を防衛するために築かれたムーゼック城壁(Museggmauer)と9つの塔を散策します。
ムーゼック城壁 Museggmauer
ムーゼック城壁(Museggmauer)は、ルツェルンの町とフィアヴァルトシュテッター湖を見おろす丘に建つ要塞。
スイスで最も長い城壁となるムーゼック城壁の全長は870mで、9つの見張り塔があります。
最初に建築された塔は1367年前後に建てられたというLuegislandturm(Luegisland Tower)。
城壁が完成したのは1408年のことで、現在のように塔がすべて形づくられたのは15世紀中頃と言われています。
ルツェルンの旧市街を「敵」から守るために建築されたムーゼック城壁。
この「敵」とはオーストリアのハプスブルク家です。
ルツェルンの西にあるゼンパッハの戦い(1386年、Battle of Sempach)でスイス八州同盟がオーストリア軍から勝利をおさめ、その後スイスが神聖ローマ帝国から独立する足がかりとなります。
塔の入場時間は8:00〜19:00。
入場料は無料です。
9つの塔すべての内部に入ることはできず、一部は外観からの見学のみとなります。
城壁の裏手にある住宅街から覗きこむ形で、一番東にある塔Dächliturm(No.9)を確認。
左手にはベネディクト教会のホーフ教会(Hofkriche)の姿も。
Pulverturm(No.7)裏の小道から城壁内に潜りこみます。
秋の色を楽しみながら進みます。
Schirmerturm(No.6)が見えてきました。
城壁のところどころにハプスルブルク家、神聖ローマ帝国の象徴である「双頭の鷲」の装飾がありました。
二頭の獅子が双頭の鷲を囲っているのを見ると、スイス八州がハプスブルク家を破ったことを意味しているのかもしれません。
二頭の獅子が手に抑えている「青と白の旗」はルツェルンの州旗。
城壁に上り、東側を振り返る。
手前がPulverturm(No.7)、奥が2つ目の塔Allenwindenturm(No.8)です。
高さ27.5mのSchirmerturmの内部に入ります。
ルツェルンの塔の内部へ。
上るたびにギシギシときしむ木製の階段を上ります。
なかなかの急勾配です。
ルツェルンの鉄道駅方面を望む。
城壁を見おろして。
眺望のひらけた南側(旧市街側)の風景を見がちになってしまうものの、この城壁が旧市街を守るために建築されたと考えれば、当時町を守っていた兵士は北側を中心に見張っていたはず。
オーストリア軍を撃破したゼンパッハも、ルツェルンの町の北西約10kmの場所にあります。
現代の平和なルツェルンにおいては、バッファローが草を食べている姿を確認するのみでした。
9つの塔の中央にある時計塔Zytturm(Zeitturm、No.5)。
スイス中央部で最も古い時計塔は1535年から今も町の人々に時刻を伝えており、ロイス川沿いからも時計塔の文字盤をはっきりと確認できます。
カタカタと音を建てながら回るゼンマイ。
ルツェルンの町に時刻を伝える大きな鐘。
この時計塔の前では素敵な出会いもありました。
ルツェルンの旧市街を背景に。
しかし、城壁と塔の見学時間は19:00まで。
後ろ髪を引かれる思いですが、急がねばなりません。
霞がかかった山はピラトゥス山(Pilatus)。
あの山の向こうにあるユングフラウ三山と比べれば2分の1程度とはいえ、それでも標高2,128mあります。
城壁の上を歩けるのはここまで。
約600年前までは重要な役割を果たしていたと思われるWachtturm(No.4)も、現代では城壁と地上を繋ぐ階段としての機能しかありません。
チェスの駒ルークのような形状をしたMännliturm(No.2)へ。
9つある塔の中で唯一「屋上からの展望」を楽しめます。
柱の間から東側を覗きこむと、手前にLuegislandturm(No.3)が見えます。
9つの塔の中で最も古い、1367年の建築です。
西側を見おろすと、ロイス川沿いにある塔、Nölliturm(No.1)。
夕焼け空の手前に浮かぶお城のような建物は、4つ星ホテル「Hotel Château Gütsch」。
中世の面影を残す、ルツェルンの町。
ロイス川のレベルまで一気に駆け下り、一番西の塔Nölliturm(No.1)へ。
ムーゼック城壁の場所・行き方・アクセス
ルツェルン駅から徒歩で向かう場合、一番西の塔「Nölliturm」まで徒歩13分。
一番東の塔まで徒歩11分です。
おわりに
ルツェルンの城壁と塔が興味深いのは「塔の意匠がすべて異なる城壁」という点です。
ムーゼック城壁の公式サイトの記述に以下のような一文がありました。
「あなたが軍事目的のためだけに壁を建てたのであれば、すべての塔を同じように建てたかもしれません。
ルツェルンの壁は軍事施設としてよりも、威信のある建物としてより重要でした。」
異教徒の攻撃から守るために建築された「スペイン アビラの城壁」や「クロアチア ドゥブロヴニクの城壁」とはまた違う、城壁としての機能はさることながら、どこか可愛らしさも兼ね備えた城壁・塔のように思います。