マラッカ海峡に沈む朱色の夕日を求めて

Pantai eye on Melakaからの夕日

マラッカ海峡の夕日は、本当に朱いのか。

夕日を撮影するため、海岸線へ…。

マラッカの夕日

マラッカ海峡に沈む朱色の夕日を求めて

14世紀末から港市国家として繁栄し、鄭和の大航海の補給基地でもあったマラッカ王国。

隆盛を極めた王国は、1511年、アジアの植民地化を狙うポルトガルに占領され、消滅しました。

1641年、勢力を拡大するダッチの占領。
英蘭協約後、戦争にただの一度も負けたことのない大英帝国の海峡植民地としてのマラッカ。
第二次世界大戦における旧日本軍の占領。

そして、マレーシアの独立…。
過去500年の間、運命に翻弄されつづけたマラッカの地でただひとつ変わらないのは、水平線の彼方を朱に染めながら沈む夕日です。

マラッカの夕日を日本人に知らしめたのは、沢木耕太郎氏の小説『深夜特急』でしょう。
ドラマ版では主人公の沢木が海岸線で朱い夕日を見つめ、井上陽水氏の『積荷のない船』がかかる。

しかし、多少遠まわりになるかもしれないと知りつつこのマラッカに立ち寄ってみるつもりになったのは、なにもポルトガル人の築いた砦やフランシスコ・ザビエルの像が見たかったからではない。私はただ夕陽が見たかっただけなのだ。マラッカ海峡に沈む夕陽はとてつもなく大きく赤い、と聞いたことがあった。

深夜特急2 マレー半島・シンガポール|沢木耕太郎 – P.145より引用

『深夜特急2―マレー半島・シンガポール―』|Amazon.co.jp

マラッカ海峡に沈む夕日を求めて

とてつもなく大きく赤い夕日というだけでも興味を抱くわけですが、沢木のように、ただただ夕陽を見たいわけではない。

西からやってくる異国人の船、そして西に沈む夕日を見て、この地に交錯した人々は何を思ったか。
マラッカ王国の人々、ポルトガル、オランダ、大英帝国、旧日本軍、占領下でマラッカに住まう人々、それぞれに思いを馳せながら、実際に沈む夕日を見ながら「追体験」してみたいというものであります。

Pantai eye on Melakaからの夕日

海外線にある「Pantai eye on Melaka」より。

覆われた雲により、太陽を拝むことは叶わない。
かと思いきや、沈む直前、雲間からわずかながら太陽の形を見ることができました。

沈む先が水平線で、かつ真っ赤な太陽だとすれば、どれだけの感動が待っていたのでしょうか。

マラッカ海峡に沈む夕日

マラッカの夕日

太陽が沈みきった後のマジックアワーの夕焼けも、まあ、美しいこと。

水上モスクから望むマラッカの夕日

翌日、Pulau Melaka(マラッカ島)の水上モスクの脇の海岸線から撮影。
この直後夕日は雲隠れしてしまい、沈む瞬間を望むことはできず。

2015年頃までは水平線に沈む夕日を望めたようですが、現在はご覧の通り、埋立地の造成地に沈むことになります。

おわりに

マラッカのマジックアワー

かつてポルトガル人が海岸線沿いの監視・防衛のために築いたサンチャゴ砦の前は、埋め立てにより広場になっています。

『深夜特急』ドラマ版の沢木が海岸線のガードレールから見た夕日の場所を探してみたものの、マラッカに長年お住まいのTony寛斎さんのウェブサイト「Mekala Guide」によると、影も形もないかの如く埋め立てられてしまったようです。
残念。

ドラマ深夜特急のマラッカの夕陽のロケ地|マラッカガイド

マラッカでは、中国企業とのJV事業「Melaka Gateway(マラッカゲートウェイ)」の開発を進めています。
埋め立てにより3つの人工島を作るようですが、あまりにももったいない。

石油、オイルマネーがあっても、あるいはアジアNo.1の1人あたりGDPを誇っても、ない歴史を手に入れることはできない。
たとえ、ドバイのパームジュメイラや、シンガポールのマリーナベイが、いかに美しくとも。
一方のマラッカには、代え難い歴史があるのに。

日本橋の上に高速道路を通したり、歴史と文化があるのにそれをいとも簡単に毀損する「ゆるキャラ」を大量生産し国内だけで盛り上がっているつもりの日本の観光業を心配すべきかもしれませんが…。
とかく、マラッカについてはもったいない。

Melaka Gatewayの開発が進む前に、1つでも2つでも多くマラッカの夕日の写真を撮らえてみたいです。

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