ひとつの空間の中に、異なる宗教の建築様式・装飾が混在する。
地下にひっそりと残る聖ビセンテ教会の遺跡、古代ローマの水道橋を参考に築いた二層アーチの円柱の森、アラベスク装飾が美しいミフラーブ、レコンキスタ後に追加された翼廊と聖歌隊席。
歴史の歩みが幾多にも刻まれたコルドバの壮麗なモスク、メスキータ(Mezquita)へ。
メスキータ Mezquita
711年、イベリア半島を侵攻したイスラム教徒が首都に置いたコルドバ。
西ゴート王国(415-711年)時代に築かれた聖ビセンテ教会の遺構の上に、後ウマイヤ朝のアブド アッラフマーン1世がモスクを建設(786-788年)。
スペイン語でモスクを意味するメスキータは、当初は現在の1/6程の大きさで、11本の身廊がありました。
後に3度の拡張・増築を経て現在の規模になり、25,000人を収容できるモスクに。
1492年のレコンキスタ後には鐘楼、翼廊、聖歌隊席、教会、王室礼拝堂が追加されました。
1984年に世界文化遺産登録。
メスキータの内部
円柱の森
二重構造のアーチが連なる円柱の森。
上の写真はアブド アッラフマーン1世によりモスクが建てられた「最初の建築エリア(786-788年)」です。
メリダにある古代ローマ時代の水道橋「ロス ミラグロス」をモデルにしたと言われているアーチは二重構造に。
二重アーチによって天井を高く取り、明るい内部空間を生み出しました。
アーチの部分の素材は赤煉瓦と石で、交互に積まれています。
このエリアの柱と柱頭は西ゴート王国時代のものが再利用されました。
アブド アッラフマーン2世による「第一の拡張エリア(821-852年)」
南側に8つの身廊が追加され、西端にはサンセバスティアン門(後述)が追加されました。
柱の礎盤はなくなっています。
聖ビセンテ教会の遺跡
円柱の森のアーチが美しいことから、皆が一様に口を開けながら上を見上げているメスキータ内部。
その空間の中に一箇所だけ下を覗き見る場所があります。
メスキータの地下。
西ゴート王国(415-711年)時代に築かれた聖ビセンテ教会の遺跡です。
ミフラーブ
メッカの方向を示すミフラーブ。
植物を象った、美しい黒と金色のアラベスク模様とモザイク装飾。
間近で見ることは叶いませんが、本当にモザイク装飾なのかと一瞬の思考の時間を設けてしまうほどに精美です。
上部には八角形のドームがあり、僅かながら外からの柔らかい光を内部に取りこんでいます。
ミフラーブはアルハケム2世による「第二の拡張(962-966年)」により追加されました。
カリフたちはウマイヤ宮殿からサバット門を通ってミフラーブ前のマスクラへ。
ここで祈りを捧げました。
翼廊
急に高くなった天井を見上げると、さて、自分がどこにいるのか忘れてしまったかのような錯覚を覚える。
…そうそう、ここはコルドバのメスキータ。
レコンキスタ後の1523年に追加された翼廊はメスキータの中央部にあります。
ゴシック様式とルネッサンス様式が融合した翼廊には、開口部から自然光が溢れ出していました。
聖歌隊席
1748年、スペイン バロックの画家Pedro Duque y Cornejoにより彫刻された聖歌隊席。
窓から注ぐ光が彫刻の陰影・立体感を強調していました。
離れた場所からも、その彫りの凹凸が確認できます。
2つの宗教が混在
メスキータの内部をカメラ片手に探索していて興味をそそられるのは、やはりイスラム支配下の時代とレコンキスタ後に築かれた建築が混在している点です。
同じキリスト教でも、異なる教派の占領下になると、例えばカトリックから正教会へ、正教会からプロテスタントへと改宗させられ、大聖堂や教会の外観がまるで変わってしまうケースが少なくありません。
ところが、メスキータの内部には根底から異なる2つの宗教の建築様式が、確かに混在している。
スペインにはイスラム教徒とキリスト教徒の建築要素が融合したムデハル様式という独自の建築様式があり、セビージャのアルカサルに至っては「ペドロ1世がアルハンブラ宮殿を参考に作らせた」「宮廷内でイスラム語の使用を命じた」などの逸話もあります。
異教徒の文化を取り入れた類に見ない独自の文化の根底に流れるものを、メスキータのアーチの下で感じ取れたような気がします。
アルミナールの塔・鐘楼
1593年にモスクのミナレットを改修して建設された鐘楼、アルミナールの塔。
鐘楼上部にある展望台への入場は事前予約制です。
メスキータ内部を見学する前に、事前に塔への入場を予約。
「メスキータ内部見学→ランチ→鐘楼」の観光プランを推奨します。
鐘楼からの眺望は、メスキータの内部の位置を把握するのに役立ちます。
獅子の門を中心とした11本の身廊は、アブド アッラフマーン1世によりモスクが建造(786-788年)された際に新たに築かれた部分です。
レコンキスタ後の1523年に追加された翼廊部分は中央に。
翼廊へ柔らかな自然光を注ぐ窓も、塔の上からよく見えます。
オレンジの中庭を見おろして。
アルカサル方面。
観光客で賑わう「花の小道」も見えました。
門
免罪の門
1377年に建設された北側の入り口、免罪の門。
イスラム時代からモスクへの主たるゲートの役割をしていました。
その面影は馬蹄形のアーチに見ることができます。
サンセバスティアン門
西側のサンセバスティアン門。
馬蹄形のアーチの円形部分中央には、アラビア語による碑文が残っています。
こちらの碑文が彫られたのは855年で、イスラム建築装飾としてはスペイン最古のもの。
セバット門
メスキータ西側の南端にあるセバット門。
この先はミフラーブ前のマスクラに続いており、後方のウマイヤ朝宮殿(現キリスト教徒の王たちのアルカサル)を結ぶ抜け道に通じていました。
歴代カリフたちがモスクへ行く際に歩みを進めた、通り道です。