かつてリトアニア ヴィリニュスの中心部にあったユダヤ人街区を歩いてきました。
街区はナチスの占領下でゲットーとなり、多くのユダヤ人住民が強制収容所に連行されて帰らぬ人に。
ソ連の占領後にはユダヤ人が住んでいた痕跡を破壊されてしまったため、ユダヤ人が住んでいたことを示す面影はほぼありません。
そこに流れる空気から少しでも当時の面影となる材料を拾いたく、撮影はすべてオールドレンズで。
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ヴィリニュスのゲットー
1941年6月、独ソ戦が始まり、ナチスドイツ軍が当時ソ連の占領下にあったヴィリニュスに侵攻。
ナチスはヴィリニュスの中でも歴史的にユダヤ人が多く住んでいた街区にゲットー(Ghetto)を設置。
当時ヴィリニュスに置かれたゲットーのマップが上記写真です。
現在、中央分離帯が市民の憩いの広場になっている通り「Vokiečių g」を挟んだ、南西側が「大ゲットー」。
北東側が「小ゲットー」。
地図を確認すると、ヴィリニュス旧市街の広範囲に渡りゲットーが置かれていたことが分かります。
(ヴィリニュスのゲットーに収容されたユダヤ人は約2万人)
夕暮れ時。
ヴィリニュス大学の西にある通りUniversiteto gの坂道を上がり、旧ユダヤ人街区を目指します。
坂道の右手に見える建物は大統領官邸。
Gaono gとŠvarco gがぶつかるT字路に突如現れたウォールアート。
リトアニアのアーティストによるプロジェクト「Walls That Remember」によるもので、今はなきユダヤ人コミュニティに住んでいた人々が描かれています。
小ゲットーの中心部へ。
五叉路のような形状をした場所から南西方向に伸びる坂道、Žydų g(ジードゥ通り)。
Žydų gに流れる、とても重たい空気。
今、改めて写真を見返しても、その空気の重たさを思い出します。
こちらの通りはStiklių g。
#WallsThatRememberのウォールアートを見つけました。
壁面に描かれた二輪車を引く老人。
この老人が実際に写真撮影された場所は、まさにここ。
Stiklių gの壁面の一部。
外壁の一部が剥がされており、中の煉瓦がむき出しに。
昔の外周部分?
大ゲットーと小ゲットーの間に通る、Vokiečių g。
現在は市民の憩いの場です。
銀行の建物に掲げれれたサイン。
カウナス領事館で多くのユダヤ人を救った外交官 杉原千畝に由来しているに違いありません。
再びStiklių gに戻ってきました。
かつて暗い影を落としていた通りは、通りに気球が浮かぶインスタグラムスポットに。
旧ユダヤ人街区の全3箇所にある、#WallsThatRememberの壁面アート。
3つ目のアートは、夕食を食べる観光客で賑わうM. Antokolskio g沿いにありました。
今回、ユダヤ人街区での撮影はすべてマニュアルフォーカスのオールドレンズHelios44-2で撮影。
マニュアルフォーカスのため、撮影時に「ピント拡大」をしてフォーカスリングを合わせる必要がある。
フォーカスが合った時に見た、少年たちの眼差しの強さがとても印象に残っています。
7952×5304のRawファイルを切り出した写真を、さいごに。
このウォールアートの名前は、The Paper Boys。
ユダヤ人の新聞配達員の少年です