クロアチア旅行の最終日。
クロアチアの首都ザグレブ市内を周ってみました。
ザグレブで訪れた観光スポットのハイライトを写真を交えてまとめたザグレブ観光旅行記です。
首都ザグレブ Zagreb
クロアチア共和国の首都ザグレブ(Zagreb)。
かつてこの地にはカプトル(Kaptol)とグラデツ(Gradec)という2つの都市が存在しました。
カプトルは現在の聖母被昇天大聖堂周辺で、現在もカプトルという地名や通りの名に残っています。
モンゴル帝国バトゥのハンガリー王国侵攻によりロマネスク様式で建てられた大聖堂は破壊され、避難したハンガリー王ベーラ4世が見晴らしのよい西の丘につくった町がグラデツ。
現在の聖マルコ教会周辺エリアです。
1850年にカプトルとグラデツが合併し、ザグレブとなります。
第一次世界大戦でオーストリア=ハンガリー帝国が敗北した後、ザグレブはユーゴスラビア王国の一部となります。
第二次世界大戦ではドイツの傀儡政権であるクロアチア独立国の首都として機能。
敗戦後はユーゴスラビア社会主義連邦共和国として東側陣営に加わることになりました。
ザグレブの町を歩くと中心地にはオーストリア=ハンガリー帝国時代の華やかな建物が立ち並ぶ一方、社会主義時代に建てられた簡素な建物や廃墟なども目に入ります。
町歩きをしながらザグレブの辿ってきた歴史を辿ることができるのもザグレブ観光の醍醐味かもしれません。
ザグレブの観光地図(マップ)
この記事で紹介している場所+αの観光地図(マップ)です。
ザグレブの観光マップはこちらで公開しています。
トミスラヴ王広場周辺 Trg kralja Tomislava
クロアチアの初代国王トミスラヴ王が構えるザグレブ中央駅前の広場。
グラウンドレベルだけでなく集合住宅の上部にも落書きが書かれて放置されてしまっているのは、もはやご愛嬌。
ユーゴスラビア時代の名残も一度に楽しめるということで。
ザグレブ中央駅(鉄道駅)。東はセルビアのベオグラード、北はハンガリーのブダベスト、西はスロヴェニアのリュブリャーナ、西はイストゥラ半島入り口の都市リエカを結びます。
今回は鉄道に乗ることはありませんでしたが、飛行機・高速船に加え鉄道も移動手段に加えると、他とは違うユニークな旅を楽しめそうです。
西側に構える白亜の建物は1925年にオリエント急行利用客向けに建てられたホテルエスプラネード。
アガサクリスティの推理小説『オリエント急行の殺人』はヴィンコヴチを出発したオリエント急行がブロドの手前で積雪にぶつかって停車してしまいます。
その舞台が現クロアチアです。
物語にホテルエスプラネードは登場しませんが、オリエント急行の追体験旅というテーマの旅も面白そうですね。
ザグレブ中央駅からトミスラヴ王広場、ストロスマエル広場、ズリンスキ広場と南北約700mにわたって続く街路樹。
イェラチッチ総督広場 Trg bana Josipa Jelačića
イェラチッチ総督広場(Trg bana Josipa Jelačića)。
青色のトラムが行き交い、人々が集まるザグレブ町の中心地です。
クロアチア土産の定番クロシュの店舗もあります。
青果広場 Dolac Market
イェラチッチ広場とザグレブ大聖堂の間の広場で開かれる青果市場(Dolac Market)。野菜から果物までズラリ並び活況です。
ミツバチにスイカを与えるお店まで。
たっぷりの木イチゴを買ってビタミン補給です。
1パック10クーナ。
聖母被昇天大聖堂 Zagrebačka katedrala
ネオゴシック様式のザグレブ大聖堂(聖母被昇天大聖堂)。
高さ105mの2つの尖塔が空に伸びている。
現在の大聖堂は1880年の大地震の跡に建て替えられており、1216年に完成したロマネスク様式の大聖堂がザグレブ大聖堂の歴史の起源。
大聖堂内に記載の歴史年表によると1242年にタタール人の攻撃により破壊された(The Cathedral heavily damaged by the Tartars)とあるが、モンゴル帝国バトゥの侵攻のことか。
地震の被害前の写真を見ると、中世(1624&1625年)に造られたルネサンス様式の鐘楼を見ることができ、現在とは外観・意匠が大きく異なります。
大聖堂の東南北を囲う壁はオスマントルコからの攻撃から守るために造れらたもの。
中世ヨーロッパにおいてオスマントルコの存在がいかに脅威であったか、クロアチアの都市を観光しているとよく分かります(→ドゥブロヴニクの城壁)。
1880年の大地震発生時刻、「7時3分3秒」で停止した時計。
左側は大地震の後の1901年に再建された際に使用していた古い柱(Old column)。
ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の時代には資金不足のために補修工事ができず、左側のように劣化してしまったそう。
右側は1990年に始まった改修工事により置き換えられた新しい柱(New column)。
ヨーロッパ旅において大聖堂や教会が補修工事をしていることは旅あるある。
この展示では定期的にメンテナンスをするか否かで大きく見た目が変わってしまうことを裏付けています。
2つの鐘楼の中央に鎮座する聖母マリア。
バロック様式の説教壇(1698)。
1855年に設置されたオルガン。
6068のパイプを持つ。
石の門 Zagrebačka katedrala
かつてはグラデツの東門だった石の門(Stone Gate)。
元は木製でしたが、1731年に発生した火事により焼失したため石製で再建されました。
火事の際「聖母マリアの絵画だけが唯一焼けることなく残った」ことから、絵にパワーがあると信じられています。
現在も石の門の中にある絵画の前では、祈りを捧げている方の姿が見られました。
ロトゥルシュチャク塔(後述)に掲載されていた1864当時の石の門周辺。
現在は石畳が敷かれ坂の中腹にはトミスラヴの像が設置されていたりと周囲の雰囲気は若干異なるものの、2つの建物の意匠はほぼ変化なし。
聖マルコ教会 Crkva sv. Marka
13世紀に建てられた聖マルコ教会(Crkva sv. Marka)。
聖母被昇天大聖堂同様に1880年の大地震で壊れたため再建されたもの。
赤・青・白の屋根が可愛らしい。
クロアチア王国(左上)、スラヴォニア(右上)、ダルマチア(下)の紋章。
ザグレブ市の市章。
ロトゥルシュチャク塔 Kula Lotrščak
聖マルコ教会の南にあるロトゥルシュチャク塔(Kula Lotrščak)。
1242年、タタール人(モンゴル帝国バトゥ)の攻撃により逃げ込んだベーラ4世は町の防衛システムを築くためロトゥルシュチャク塔の建築を命じ、1266年にはグラデツの町はすべて要塞化されることになります。
オスマントルコの脅威が去るとワインセラーやビリヤードクラブなどの用途としても使われ、1981年に現在のような展望施設に。
イェラチッチ総督広場方面を見おろす。
ザグレブ大聖堂の方面は1956年当時の写真と見比べてもほぼ変化ありません。
レストラン
Gallo(ガッロ)
イタリアンレストランのGallo。特に「黒トリュフのフェットチーネ」は黒トリュフの香りともちもちとした食感が絶品でした。
住所:Ul. Andrije Hebranga 34, 10000, Zagreb, Croatia
電話番号:+385 1 4814 014
ザグレブの場所・行き方・アクセス
日本の国際空港からザグレブ国際空港までは直行便はりません。
ザグレブ市街はザグレブ国際空港から約10km離れています。
ザグレブ国際空港から市内のザグレブバスターミナルまでは空港シャトルバスで約25分、1人30クーナ。
おわりに
夜のザグレブは全体的に怪しげな雰囲気の印象を持ちましたが、日中は活気があります。
アドリア海沿岸のドゥブロヴニクやスプリット、プリトヴィツェ湖群国立公園も合わせたクロアチア旅ではザグレブ観光に丸一日以上取るとスケジュールが窮屈になりそうですが、帰国便の前など半日程度の観光でも(博物館や美術館を除けば)十分にまわれるのではないかと思います。
ドゥブロヴニク観光 紺碧とテラコッタの美しい街(クロアチア、世界遺産)
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