2011年まで、マレーシアとシンガポール南部を結んでいたマレー鉄道のKTM。
以降、廃駅となっているシンガポール側の旧始発駅「タンジョンパガー駅(Tanjong Pagar Railway Station)を訪れました。
タンジョンパガー駅 Tanjong Pagar Railway Station
マレーシア国内(マレー半島)を縦断移動する際に、主要な移動手段である「マレー鉄道KTM」。
列車遅延は常態化。
冷房が効きすぎた車内は極寒のため、亜熱帯のマレーシアでも皆なぜか長袖を着ているという、マレーシアらしさを存分に味わえるマレー半島列車の旅。
第二次世界大戦後にイギリスから独立するまで、元は一緒だったマレーシアとシンガポール。
シンガポールが半ばマレーシアから追い出される形で独立したのは、1965年のこと。
シンガポール側にあるマレー鉄道始発駅、通称「シンガポール駅(Singapore railway station)」は、1932年1月15日に開業、同年5月3日に完成。
しかし、シンガポールが独立した後は「シンガポール側に位置するもののKTMの所有物」という「ねじれ」が起きていました。
シンガポールがKTMから敷地を買い取ることにより、2011年6月30日を最後にシンガポール駅は操業を中止します。
シンガポール北部のウッドランズ(Woodlands)の南側の2つの駅(Tanjong Pagar、Bukit Timah)は廃駅となり、線路の大部分は剥がされました。
タンジョンパガー廃駅の敷地はシンガポール国の所有物となっており、中に入ることはできません。
そのため、敷地外からの撮影となります。
ジョホール海峡の対岸の町「ジョホールバル」の名前を冠したマレーシア料理屋さんの看板。
マレーシア名物のナシレマッや麺類を提供していたのでしょうか。
個人的には、廃墟やボッタクリ観光案内の思い出が強いジョホールバルには、あまり良い思い出はありませんが。
深夜か、はたまた午後か。
2時5分を指し、永遠に針を止める時計。
駅舎の南側にはマリーナベイエリアとセントーサ島とを結ぶ幹線道路があり、上部には高速道路が通っています。
けたたましい音を立てながら、急ぐように行き交う車両の数々。
その喧騒は、時の止まったマレー鉄道駅の寂しさを和らげるかのようです。
青い看板は、マレーシアを走るKTMの駅に設置されているものと同じもの。
「Parcel Office」
手荷物の配送手続きを受け付けていたのでしょうか。
「Ekspres」の表記はマレー語。
シンガポールにマレー鉄道に乗り出稼ぎに来るマレーシア人が頻繁に利用していたのかもしれません。
イタリアの建築家によりデザインされた、アールデコ調の東面ファサード。
柱の上部にある「FMSR」は「Federated Malay States Railways」の頭文字。
人間の形に象られた白い大理石は、左からそれぞれ、農業(Agriculture)、商業(Commerce)、運輸(Transport)産業(Industry)を意味します。
マレー鉄道の廃駅 タンジョンパガー駅の場所・行き方・アクセス
おわりに
将来的には、シンガポールMRTのサークルライン「Cantonment駅」として生まれ変わる予定のようです。
歴史ある建物の雰囲気を残しながら、どのように生まれ変わるのか楽しみですね。
マレー鉄道の駅では、マレーシアの首都クアラルンプールにあるクアラルンプール駅やマレーシア北部の町イポーの鉄道駅も見ごたえがあります。
かつてこの地と繋がっていたかと思うと、妙ではありますが感慨深い気持ちが裡から湧き上がります。