シンガポールのセントーサ島西端にあるシロソ砦(Fort Siloso)を訪れました。
この記事ではシロソ砦および展望台スカイウォークの見どころを写真を交えてお届けします。
シロソ砦スカイウォーク The Fort Siloso Skywalk
セントーサ島のケーブルカー「Sentosa Line」を西に進んだ先にある終着駅「Siloso Station」。
その目の前にそびえ立つ、シロソ砦スカイウォーク(The Fort Siloso Skywalk)。
シロソ砦へアプローチできる、全長181mの橋と展望デッキ。
高さ36.3mの橋からはシンガポール本島、セントーサ島、セントーサ島周囲の島々、そしてシロソ砦周辺の緑に生息する野鳥を観測できます。
最頂部まではエレベーターでアクセスでき、入場料は無料。
床の一部には透明の強化ガラスになっており、スリルも楽しめます。
ガーデンズバイザベイのクラウドフォレストやOCBCスカイウェイの吊り橋を体験されていない方も、ぜひ!
展望台の眺望
ケーブルカーの駅舎、Siloso Stationを見おろして。
右手に見える砂浜は、セントーサ島の最西端にあるシロソビーチ。
奥に見える島は、セントジョンズ島(St.Johns Island)。
展望台の説明によれば、セントジョンズ島ではサンゴ礁やマングローブだけでなく、運が良ければイルカも見れるらしい。
果たして。
セントジョンズ島までは、ガーデンズバイザベイの南にあるマリーナベイピアから船が定期運航しています。
その西にある島は、シスターズ島(Sister’s Island)。
定期運航はないものの、ピクニックやキャンプ地として人気があります。
キタカササギサイチョウ Oriental pied hornbill
高さ36.3mの橋の周囲には鳥たちが好む木の実が豊富にあり、日本では見ることのできない珍しい鳥が生息しています。
突如として、橋の欄干に飛びのった鳥はキタカササギサイチョウ(Orental pied hornbill)。
忍び足でゆっくり近づきつつ、丁度良い距離感に達した際のベストショットがこちら。
英名の中にhornbillが入っており、ジュロンバードパークにいるオニオオハシなどのhornbillの仲間なのでしょう。
まるでアニメキャラのような顔がキュート、可愛すぎる。
動画の終盤に、奥から二人の観光客がこちらに近づいてきてます。
お二人は話に夢中で下を向いており、鳥の存在に気づかず。
隣を通り過ぎる際にキタカササギサイチョウは森へ羽ばたいて行きました。
二人は呆然!
「逃した魚の大きさ」ならぬ「逃した鳥の大きさ」に気づいたらしく、なんともったいない!
シロソ砦スカイウォークを訪れる際には、ぜひ周囲の森を見渡してみてください。
野鳥が生息する高さ36.3mの世界を体感できるでしょう。
シロソ砦 Fort Siloso
スカイウォークを渡った先にある、シロソ砦(Fort Siloso)。
大英帝国の海峡植民地時代から、シンガポール防衛において戦略的に重要な拠点です。
現在はセントーサ島に残る最古の軍事建造物として、一般解放されています。
実際に使用されていた砲撃台や当時のシーンを再現した蝋人形、歴史資料を展示しています。
シロソ砦は3つのゾーンに分かれており、各ゾーンの所要時間目安は
RedZone | 45分 | シロソ砦広場、シロソ砦全体図、強国シンガポールの存続、 シンガポール陥落、シンガポール国民の声、トンネルB号捕虜兵の体験、 砲手シェルター、大砲展示、特別作戦136部隊、 日本軍の占領、大砲展示、降伏の室、需品係将校 |
YellowZone | 35分 | 兵士の生活、大砲展示、番兵詰所、 大砲展示、運動場、トンネルC、 射撃指揮塔、大砲展示 |
BlueZone | 20分 | トンネルA、射撃指揮塔 |
シロソ砦は敷地が広く、想像を超えるほどに見どころがたくさんあります。
結局、時間が足りずに夕方、閉館時刻を迎えてしまいました。
展示資料もじっくり見る場合には、最低でも使用時間「2〜3時間」確保しておくことをおすすめします。
1924年当時のセントーサ島です。
当時はマレー語でブラカンマティ(Blakang Mati)=死者の島という名前が名付けられていました。
1840年代まではマレー人・イスラム教徒のブギス(Bugis Community)が住んでいましたが、ほとんどがマラリアが原因で死亡。
その生き残りがシンガポール本島に渡り、かつて居住していたこの島をブラカンマティと呼ぶようになったのだとか。
1940年代にイギリス軍が使用していた25ポンド砲。
下の車輪を回転させることにより360℃砲撃を可能とします。
現在は、シンガポールの独立記念パレードにおいて、同型の25ポンド砲が使われているとの記述がありました。
地下の貯蔵庫から、手動式ホイスト機を使って地上の大砲に送る様子です。
作業を行っているのは、シンガポール義勇砲兵隊。
なぜ、日本が資源を求めてマレー半島・シンガポールに南下したのか。
その背景・経緯の説明です。
1942年の砲撃指揮塔を再現した蝋人形。
日本軍とのシンガポール攻防戦前の緊迫したシーンです。
肌にまとわりつくような暑さと湿気が、緊迫感を増長させています。
周りに観光客が少なく、あたり一帯静寂に包まれていることも手伝ってか、1942年2月14日にタイムスリップしたかのような感覚を覚え…。
息が詰まる。
壁に貼られた薄汚れた紙には、英軍と日本軍の戦艦・空母、駆逐艦のファサード。
1930年代と現在の監視壕の比較。
当時の施設が、綺麗に保全されていることが分かります。
1923年に広島の呉で製造された、日本軍の140ミリ湾岸砲。
1966年にマンダイ原生林で発見されたもの。
1944年に呉で製造された120ミリ艦上兼用砲。
1979年にアッパーパース貯水池で発見。
The Occupation Years
日本軍占領下における資料の展示。
一日本人としては心苦しいところではありますが、目を逸らしてはなりません。
日本軍は1942年2月にシンガポールを占領した後、その名称を昭南(しょうなん)に強制的に変えます。
日本統治時代の軍票。
終戦直後は紙くずと化しましたが、現在はシンガポールやマレーシア各地の博物館のお土産コーナーで販売しています。
戦時中、戦費調達のために国民に貯金を呼びかけたのは有名ですが、マラヤ(シンガポール)でも行っていたようです。
日本軍はシンガポール占領後、抗日勢力を掃討すると称して「シンガポール華僑粛清事件」を起こします。
2月17日に18〜50歳の華僑を検問所に集め、検問をクリアした者に「検問済」の印をシャツに押印。
その検問をクリアできなかった者は処刑されました。
その数は日本政府の見解で5,000人、現地での見解で50,000人と推定されています。
Surrender Chambers
日本軍がシンガポールを占領してから第二次世界大戦が終わるまでを展示したスペース。
マレー作戦における銀輪作戦。
日本軍は兵士の移動を高速化するために、自転車を活用しました。
日本軍がマレー半島からシンガポール本島への上陸地点を行ったのは、ジョホール水道の西部、中央はジョホールバル、東部はウビン島。
最終的には、海を見渡す眺望の良い丘、フォートカニングを目指します。
旧フォード工場で行われた「山下・パーシヴァル両司令官の会談」を再現した蝋人形。
シティホールで行われた、日本軍の降伏文書調印式を再現した蝋人形。
シロソ砦の場所・行き方・アクセス
シロソ砦はセントーサ島の西端にあります。
シロソ砦スカイウォークはシンガポール・セントーサ島ケーブルカー「Sentosa Line」の終着駅「Siloso Station」から徒歩約1分。
ビーチトラムに乗ってもよいですし、砂浜を散策しながら歩いて来るのも良いでしょう。
シロソ砦の営業時間
住所 | Siloso Rd, Singapore |
電話番号 | +65 6736-8672 |
営業時間 | 10:00~18:00(最終17:30) |
おわりに
シロソ砦を観光中に、出会った観光客はご年配の日本人1人のみ。
シンガポール観光といえばマリーナベイやナイトサファリなどのスポットがクローズアップされます。
しかし、シンガポールが歩んできた歴史を知るためにも、お時間があれば日本人の方にぜひ、その足を運んでもらいたい場所です。